景色を彩る電波塔

美ヶ原の景色の中で特徴的な電波塔は、人工的な景色ですが欠かすことができない風景です。

電波塔の歴史

電波塔の始まりは、1952年(昭和27年)に長野県警(当時は国家地方警察署)の中継所の建設で、つづいて同年に長野県の「信越放送株式会社」のラジオ放送が始まりでした。

その後、1959年(昭和34年)に中部電力、翌年(1960年(昭和35年))には東京電力と日本電電公社(現NTT)、さらにその翌年(1961年(昭和36年))に日本国有鉄道、1963年(昭和38年))には長野国道工事事務所が続けて建てられました。

さらに、昭和40年代から60年代にかけて、長野県内の放送局「長野放送(1968年)」「テレビ信州( 1980年)」「テレビ朝日(1989年)」なども建てられました。

電波銀座を拓く

電波塔は、電波を遮る物のない見通し距離が確保できる場所に建てて広範囲に電波が届く方式「マウンテントップ方式」と呼ばれる方式が採用され、長野県のほぼ中心位置で、周囲には何も遮る物がない美ヶ原は絶好の地だった様です。

今では、冬でも車で行くことがでできますが、当時は徒歩で山頂まで登り、10日交代で山頂勤務をするなど、過酷な環境だったそうです。

近くで見ると、アンテナは大きく迫力ありますし、整然と並んでいるケーブルなどはキレイで見応えがあります。
アンテナの下や傍にある建物も見応えがあって、特にSBC(信越放送株式会社)の建物は特徴的で心くすぐられるデザインです。

すこしわかりにくい場所ですが、「電波銀座を拓く」 と記された石碑もあるほど、たくさんの電波が鉄塔を経由して行き交っているかと思うと、また見方が違ってくるかもしれません。

 

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